首都へ行くクルーズ:パナマシティの歴史
パナマの躍動的な大都会パナマシティは、摩天楼、カジノ、ショッピングモールが立ち並び、繁栄を極める現代のメトロポリスです。都市部を一歩出ると多くの歴史の痕跡が目に留まります。魅力的な歴史地区やその向うの海岸沿いには昔の都市の遺跡があります。パナマシティの歴史を学び、港に到着したときには準備が万端にしておきましょう。
パナマシティ旧市街
パナマ・ビエホ(オールド・パナマ)として知られる旧市街は、現在の町からそう遠くはありません。1521年にペドラリアス・ダビラが先住民の村の跡地に造ったパナマ・ビエホは、南北アメリカ大陸への探検作戦への本拠地でした。主要な航海ルート沿いというその立地によって、この村は重要な交易の中心地となりました。南北アメリカから輸出する金や銀の多くはオールド・パナマを通過するため、この町は海賊の標的になり、最後には崩壊してしまいました。1671年、悪名高い海賊ヘンリー・モーガンが町を襲い、建物を破壊し、何千人もの人を殺戮し、放火しました。
この町が同じ土地に復元されることはなく、代わりに現在のパナマシティの歴史地区がある土地に再建されました。この土地を選んだ理由は海賊の攻撃から町を守りやすかったからです。今日、パナマ・ビエホは32ヘクタールの遺跡で、人気の高い観光スポットです。この遺跡で格子状に区分けされている道路、家屋、公共の建物には、南北アメリカにおける初期の計画された町の例を見ることができます。オールド・パナマシティの遺跡を見学できるシーニックドライブ&ウォーキング・ツアーをご予約ください。
ニュー・パナマシティの歴史地区
スペイン、フランス、植民地様式の建築が混在する、テラス付きの家々、美しい広場、ウォーターフロントのプロムナードは、18世紀、19世紀に魅力的な新しい街へと発展しました。しかし20世紀初期には、細い石畳の道や隙間なく建造された家々では手狭になり、1930年代、街に住む富裕層はカスコアンティグオ(歴史地区)から出て、近代的な高層ビルスペースがあり便利に生活できる郊外に引っ越し始めました。歴史地区は住む人もまばらとなり、建物は老朽化が進む状態で放置されました。そのうちに不法占拠者が居つくようになり、かつて豊かだった街は誰も寄りつかない地区となりました。
1997年に世界遺産に指定され、過去10~20年の政府からの資金援助を得られたお蔭で慎重な復元計画が開始され、この歴史的な街に新しい命が戻ってきました。復元計画が進んでいる旧市街を散歩すると、今だに外壁には落書きが残り、屋根が沈んでいる廃墟のままの家々を見ることができます。しかしこのような家々の中にも美しく改装された建物もかなりの数存在し、その多くが風変わりなカフェ、ファッショナブルなブティック、可愛らしいレストランになっています。街が持つ豊かな歴史と多文化の影響を体験するには、昼下がりに歴史地区の曲がりくねった道をあてもなくぶらぶら歩くことが一番よい方法です。
プリンセス・クルーズで行くパナマ運河クルーズでは、地域の文化、歴史、音にどっぷり浸かることができ、他では得られない本格的な体験ができます。パナマシティのことを学ぶ最良の方法は、実際に行って冒険してみることです。
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